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合唱ができるまで [映画]

アンダンテ カンタービレ

 最近、月曜の夜はテレビドラマ『のだめカンタービレ』を見ている。音大に通う若き音楽家たちが、恋をしたり悩んだり自分の道を追求したりしていく物語で、二ノ宮知子さんの漫画が原作だ。二ノ宮さんの作品はフィールヤングの『平成酔っぱらい研究所』を読んで知っている。あと、家族が漫画関係の仕事をしていたことから、一度、二ノ宮さん主催のバーベキューに参加したことがある。来てた人はみんなたくさん飲んで浮かれて、同じ場所に小学生を引率してきていた先生に誰かが叱られて揉めそうになったことを覚えている。二ノ宮さんはどんな人だったのか、残念ながらあまり覚えていない。記憶は途切れ途切れにしか残っていない。挨拶をして、あとはさんざん飲んできっと良い気持ちだったに違いない。『のだめカンタービレ』はまだ読んでない。確かこの作品で講談社漫画賞を受賞しているはず。話題作である。ドラマは二ノ宮さんの笑いのツボをおそらく外していないんじゃないかな。とても、おもしろい。
というわけで、このところピアノオーケストラ、指揮など音楽家を目指す若者たちに馴染みがあって、それを下地にして音楽を題材にしたこの映画を観たわけである。音楽がどの様にできていくものなのか、門外漢にはさっぱりわからない。さらに合唱はおぼつかない知識で、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4つのパートに分かれていることくらいしか知らない。この4つのパートによるハーモニーがとりわけ重要だということはなんとなくわかるのだけど。
映画の冒頭、小さな女の子が声を出す。ピアノと同じ音を出すように言われて、その音を出す。「この音につられないように」と先生は全然違う音を弾く。何度も何度もそうやって、女の子はその度に自分の音をしっかりと再現する。トレ ビアン! 音程はバッチリ! 音程が外れないということはどういうことなのかがこのシーンでよくわかる。音がしっかり自分で把握できてしかも再現できること。そして他の音の影響を絶対に受けない。今まではなんとなく、絶対音感とかそうした能力を持って生まれた人だけが歌えるのだろうと思っていたのだけど、そうではなくて、繰り返しレッスンをして耳と声帯を鍛えていくのだ。途中に中高年が喉の体操レッスンを受けるシーンもある。喉の力を抜いたり、震わせたり、このようなレッスンを見ていると、声もひとつの楽器なのだと思えてくる。いい音が出るよう身体を使い、音が表現できるように気持ちを高めてハーモニーを作っていく。一つひとつを整え、全体を整える。音楽ができるまでには、関わる人全員の気の遠くなるような時間が堆積している。息を合わせることは、至難の業だ。


about love アバウト・ラブ [映画]

Tokyo Taipei Shanghai……三つの街のラブストーリー

あっちからこっち、こっちからあっちへ、アジアの人たちは行ったり来たりしている。いや、アジアの人たちだけじゃない。世界中のあらゆる場所で人が動いている。見知らぬ街へ、言葉もあまり通じないところへ、人は何かを求めて出かけていく。人が動けば、そこで何かの作用が起こる。映画の舞台は東京、台北、上海。それぞれの街へ、ほかの街から留学してくる人たち。彼らは、そこに住む人と出会って恋のような、恋の予感のような感情が行き交う。そんな形になるようなならないような三つの物語。
たとえばDVD を手に入れて、大きなモニターで流しっぱなしにしておくのにぴったり。いやな場面が少しもなくて、まあこれといって盛り上がりもないのだけど、出てくる人たちはキレイだし、画面が移り変わっていく様子を眺めているだけでも楽しめる。
2004年9月釜山映画祭にてワールドプレミア上映、日本では今秋9月に公開されている。ちょっと素敵なのでご紹介。
東京編で、漫画家を目指して台北からやってきた留学生が自転車で街の中を行くシーンが気に入っている。自転車のギアがシャリシャリと軽快に走っていく感じや、流れていく景色や、一途で頑固そうな陳柏霖(チェン・ボーリン)の表情や、そのどれもが、とても好きだ。画面に現れる風景を見ながら、あ、ここは渋谷のあそこだなとわかるのも楽しい。それから、どこなのかわからない、見たことがない坂の景色が現れて、すごく気になった。映画を見た後すぐに、仕事でその場所に行くことになって場所が判明したのがちょっと面白かった。
写真はその坂。さて、ここはどこでしょう?

写真の坂:目白通りと不忍通りがちょうどぶつかるあたりで撮ったもの。南へ下る目白坂付近です。
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我愛称 ウォ・アイ・ニー [映画]

夫婦げんかは犬も喰わない。

喧嘩が絶えない夫婦のお話。この夫婦、顔を合わせると喧嘩していて、映画のほぼ5分の4くらいそんな場面ばかり。見ているほうとしては、かなりげんなり。お腹が空いているときには絶対に見てはいけない。上司に叱られてむかついているときも見てはいけない。思わず「ちくしょー」と前の人の背もたれにケリを入れてしまいたくなるから。では、どんな人におすすめできるかというと、結婚前の恋人同士にはぜひ見ておいてもらいたい。ラブラブが収まったら、その後には何が待ち受けているのかよくわかるはず。それから、もうわしらには色恋沙汰なんて遠い昔のことじゃよ、というシニアな方々にとっては一種の回春剤の役目を果たしてくれるはず。わしらも昔は若かったから理由もなく喧嘩したものじゃよ、思い出すのぉ、ふぉっふぉっふぉっ、なんてね。
夫婦といえども他人なので、合わないところは数え切れないくらいいろいろあって当たり前。癒されたい気分の時になぜか相手がカリカリしていて突っかかってきたり、女の人は月経前症候群でイラつくことだってあるし。火種らしいものがなくても、人が向き合えば喧嘩が始まったりするのだ。
そこで、ひとつ。喧嘩をしないコツは90度の角度で座ること。心理学では正面に向き合うと敵対関係になりやすく、90度になると友好的な関係を形成しやすいという。心理学は統計の産物だから、夫婦喧嘩のサンプルもたくさん集めたのに違いない。とにかく正面切らず、きっちり90度に座って話し合ったり、見つめあったり、黙りこくっていたり、しよう。それが、敵対しないための準備。ちょうどいい角度。


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crash クラッシュ [映画]

すれ違って、ぶつかりあって、人は関わりあっていく。

ジャーン! これこそ、残しておいたおすすめ映画第2弾なのだ。
この映画、べつにお洒落でもないし、ゴージャスでもなく、むしろ、かなりヘビーな映画と言っていい。監督はポール・ハギスという人で、これがデビュー作になる。解説を見ると『ミリオンダラー・ベイビー』の製作・脚本を手掛けていて、ふむふむ、それでなのかと合点がいく。作品の底部に流れる重低音がどうも似ているような気がしたから。
この映画は、さまざまな人間模様そのものを描いていく。右往左往する人が些細な事柄で関わり合って心が触れあったり、壊れかけたり、殺したり、しながら交わっていく。出会いを求めても求めなくても、こうやって人は出会っていくのだ。そこに何かの教訓があるわけでも生きる希望が芽生えるわけでもない。ただもう、さまざまな人が生きていることを実感する。会社を辞めようかどうしようか悩んでる人も、目を二重にプチ整形しようかどうか思案中の人も、いつもいつも恋人のことが頭から離れない人も、間違いなく何かを感じるだろう。その何かというのは、人によってまったく違っていて、見ている側の状態で受けるものは変化していく。1本の映画を見て、人それぞれがまったく別のことを思い、考え、受け止める。メッセージに共感したり、ストーリーに感動したり、共鳴することを求めているわけじゃない。そういう意味で、ものすごい映画なのだと思う。
舞台はロサンゼルス。登場するのは、刑事、自動車泥棒、地方検事、TVディレクター、鍵屋、病院のスタッフ、雑貨屋の主人とさまざまな階層、さまざまな職業の人たちだ。彼らは、白人、黒人、ヒスパニック系、ペルシャ人、韓国人と人種もさまざま。そうしたさまざまな人々が、この地に暮らしている。
出てくる人それぞれが、背景を持っている。それは、この映画を撮るために何とかこしらえてみましたというような代物ではなくて、絶対にこの人は今ロサンゼルスにいて、どこかの家の壊れた鍵を修理していて、そこの女主人から胡散臭そうな目つきでじろじろ見られて、ああ早く家に帰ってかわいい娘と遊んでやって優しい妻と抱きあって眠りたいと、ひたすらそのことだけを考えて修理をしているヒスパニック系の鍵屋だったりする。彼はきちんと仕事をこなしているだけなのに、マニュアルどおりにやっているのにもかかわらず、わからず屋のペルシャ人に逆恨みされてあげくには命を狙われたりするのだ。つくづく人間というのは一筋縄ではいかないものだ。運がいい悪いもあるし、気分ひとつで命の重さだってどうなるかわからない。だけど、時には奇跡が起こることだってあるし。
それに、人には善いところも悪いところもある。銃を持って人を脅かしている悪党の心根にだって何かしら優しい気持ちが残されていて多重構造なのだ。そういうところをていねいに描いていて、どこを切ってもずっしりとリアルな重さが感じられる。
見終わって雑踏の中を歩く。行き交うひとりひとりにその人の人生がある。ロサンゼルスでも東京でも、みんななんとか折り合いをつけながら生きている。眩暈がしそうだ。


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乱歩地獄 [映画]

虫の嫌いな人は背中がぞくぞくするかも、これ。

引っ張るつもりはないのだけど「おすすめ」を紹介する前に、ちょっと寄り道。初めて、公開初日に映画を見るなんてことをしたので、その記念にコメントしておきたい。封切り日には監督や出演者の舞台挨拶がつきもので、この映画も初回後に舞台挨拶があるというので、朝早くから勇んで出かけたのだった。(11/5)
映画は乱歩の代表作4編を4人の監督が手掛けている。その中の1編を監督しているのが漫画家のカネコアツシで、実は家族がカネコアツシファンなのでおつきあいしたのだ。だけど、映画館に着いたらすでに長蛇の列が、えんえんと。舞台挨拶は見事に振られてしまった。結局、夕方からの回を見ることに。
で、やっと見ることができた映画は……。1編目は椅子に縛りつけられて撲殺現場に置き去りにされてるようで、辛くて逃げ出したくなった。2編目は淫靡な世界で、実相寺昭雄監督お約束の女体縛りももちろん用意万端。欲を言えば、成宮寛貴クンにはもっとゴックンてなるくらいなところまでやってほしかったな。3編目には松田龍平クンが登場。この人は出てくるだけで禍々しさが漂う希有な顔の持ち主だ。4編目がカネコアツシ作品。群像を見せるのに終始するところがある他の編と比べて、浅野忠信演じる神経症的な運転手にぐっと寄っている。何でもない、なにげなく通り過ぎていく人の心の奥に隠されたアブナイ部分を覗いてしまったような怖さがある。個の歪みがリアルに迫ってくる。普通を脱ぎ捨てて、裸になって遊ぶお部屋は天国のようで地獄のようで、なんだかわけわかんないところなのだった。


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イベリア 魂のフラメンコ [映画]

熱い!情熱!オレ!オレーッ!

いい映画を見た後というのは言葉があまり出てこない。そういう映画は、ここが見どころだの、あのシーンがヨカッタだのとぐだぐだ言いたくない。言葉にする必要なんかなくて、ひとこと「この映画いいよ。絶対おすすめ!」と言えばいいだけじゃないかな。でも「いいよ〜」だけでは、どこがいいのか、どんな映画なのか、わからないものね。気分と相談する材料くらいは必要だ。
このところ2本立て続けによい映画を見て大満足なんだけど、今回はそのうちの1本をご紹介。

題名からもわかるように、これはフラメンコの映画。スペインを代表する踊り手たちを集め、フラメンコだけではなくバレエや現代舞踊などを1本にまとめた良質のダンス映画だ。「ここぞ!」という場面を次々に見せてくれるガラ・コンサートのようなものと言ったらいいだろうか。フラメンコやバレエが好きな人、踊りに興味のある人はぜひ。そうでない人も見なくちゃ、ですよ。
もちろん踊りは生で見るのがいちばん。いくら映像美を尽くしても、目の前の生きている踊り手の身体の動きにはかなわない。この映画の作り手はそんなことは端からわかっていて、臨場感をだそうと空回りしたりはしない。光と影を巧みに使い、踊りが生み出すエネルギーをさまざまな形にして見せてくれる。
スペインの人たち、彼らの血管には真っ赤な血と共に情熱が流れているのに違いない。見ながら、そんなことを思いつつ、この薄っぺらな日本人の身体にも熱いものが流れ始めるのだった。はぁ〜。

もう1本は近日中に!


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銀色の髪のアギト [映画]

ボーイ・ミーツ・ガール

エンドロールが流れていく。日本人、韓国人、中国人……延々と続くアジアの人たちの名前。このアニメ映画を作るために、こんなにも多くの人が関わっているのか。その圧倒的な人数の多さに驚く。こんなにも多くの人が手作業をしたのだ。お酒を飲んで熱く語ったり、傷ついたり、優しくされたり、泣いたり、する日々を過ごしながら、手掛けている仕事についてあれこれ考えながらやってきただろう。一人ひとりが、それぞれのやり方を模索しながら。こんなにも多くの人が力を合わせて、1本の映画を作ったのだ。
それなのになんだろう。
この作品は大きな力を持たない……。
確かに、画の力はある。アクションシーンや水中、森、廃墟、マシーン、空の色。アニメーターたちは迫力のある絵を仕上げている。動きがあり奥行きがある。ひとつの世界を創っている。
だけど。
要(かなめ)の部分のお話が観る側の心まで届いてこない。アギトという少年が、過去から来た独りぼっちの少女に、どうしてそれほどまでに執着するのか。救おうとして自分の命まで捧げようとするのか。ストーリーの最も大切な部分なのに、そこのところが全然わからない。こちらに伝わってこない。
観ている間、以前にもこれと同じようなもどかしさを感じたのを思い出した。実写とCGを組み合わせて作った『CASSHERN』も、そう。人がなぜそこまでするのかということに答えられないまま綴っていた。もちろん、説明が必要なわけではない。しっかりと映像で見せてくれれば、それでいい。人が人を想うとき、憎むとき、人はどんな目の色をしているだろう、どんな表情をしているだろう。それは人それぞれかなり違っていて、とても微妙だ。だからこそ、ちゃんと人間を見つめて、表現していかなければいけないのではないか。
2006年、お正月封切り予定。ぎりぎりまで時間はある。不要な部分を切って、少年と少女の心が触れあう場面を際だたせることができないだろうか。


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ジェイミー・ベル&トマス・ヴィンターベア監督来日 [映画]

10月31日、来日記者会見

『DEAR WENDY』の監督トマス・ヴィンターベアと主演のジェイミー・ベルが、映画宣伝のために来日、会見を行った。会場はウェスティンホテル東京スタールーム。
いやあ、どちらかというと、そう派手めの映画じゃないから、あまり期待はしていなかったのだけど、こういう席には行ってみるもんです。ジェイミーが「どっちがムービースターやねん!」と嘆くほど、めっちゃかっこいい人でした。監督トマス・ヴィンターベア。スクリーンに登場してもゼッタイ大丈夫。すっごいイケメン。ああ、もう、じっと見つめられて、ドキドキしちゃった。それというのも近くの人が質問したから、こっち方向を見ただけなんだけどね。でもでも、なんかシアワセ〜。トマス・ヴィンターベアはユーモアがあって、ちょっと照れ屋で、とてもマジメそうな人でした。
この日の会見で印象に残ったのは、「あなたにとってダンディズムとは何ですか?」と聞かれたジェイミー・ベルの返事。
「自分を抑圧するものを克服していくこと。それがダンディズムだと思う」
ふーむ。『DEAR WENDY』の役柄と重なるところもあり、なかなかに深い言葉である。ダンディ……お洒落なこと、伊達者。映画の中で、ジェイミー・ベルがリーダーになる町のアウトサイダー集団ダンディーズの掟はダンディであること。『リトル・ダンサー』で世に出るとき、ジェイミー・ベルは自分を取り囲んでいる小さな世界から一歩踏み出した経験を持つ。そのとき、自分の内なる声と向き合い、重大な判断を行った。ジェイミー・ベルはダンディがどんなものなのか、よく知っているのだろう。
<12月上旬、シネカノン有楽町、アミューズCQNほか全国ロードショー>

◇トマス・ヴィンターベア
1969年、5月19日、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。1998年、『セレブレーション』でカンヌ国際映画祭審査員賞受賞。日本での公開は『DEAR WENDY』が2作目となる。


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私の頭の中の消しゴム [映画]

幸せって、失くしてはじめてそれと気づくもの、なのね。

人は人をどうやって愛するようになるのだろう。ある日、それまでまったく知らない者同士だったふたりが出会って、視線が絡まり合って、心がかき乱されて、恋に落ちる。愛し合って結婚して、やがて年をとったふたりはおじいさんとおばあさん。いろんなことがあったわねえと、ふたり仲良く縁側で日向ぼっこして、静かにお喋りして微笑みあって……。伴侶を見つけたら、そんな何でもない、だけど満たされた老後の時間をいっしょに過ごすことを想像するだろう。いつか、そうやって振り返るはずのふたりの歴史が、いきなり途中でプツンと切れてしまったら。
どうしたらいい?
愛する人は生きているのに、手を握っても、もう握り返してはくれない。
名前を呼んでも、応えてくれない。
愛した記憶が消えていくなんて、こんな悲しいことってないよね。

映画は、ふたりにとって記憶に残しておきたい場面を積み重ねて見せてくれる。だけど、人が残したいと思うのはエピソードではなくて、そばにいる人の手ざわり、温もりの記憶だと思う。それをなくしたら、辛くて、生きていけない。

見終わって、彼(彼女)のことを大事にしなくちゃ、と思うならよし。
思わないなら、ちと問題ありかも〜。


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秘密のかけら [映画]

野心家の女ジャーナリスト、秘密を追って必死の肉弾取材!

な〜んて週刊誌みたいに見出しを立ててみたくなる作品。とにかく、この主人公の女ジャーナリストがいけすかない感じで、私としてはどうも好きになれない。15年前に、闇に葬られた殺人事件を追って精力的に取材を進めていくのだけど……。この殺人事件には、彼女が少女の頃にファンだった二人組のスターが絡んでいて、彼らは事件の後にコンビを解消している。女ジャーナリストは彼らに別々に接触して真実を暴いていく。ここで、正義感の強い骨太な人を想像してはいけない。おっぱいが見えそうなゆるい服着て、夜に一人暮らしの男のところへ平気で取材に行っちゃうような、そんな女。取材記者をしていたことのある身からすれば、そういう取材はマチガイのもとになるのでやらないのが鉄則。取材対象と友達や恋人になったら、相手を冷静に見つめることは難しくなる。だけど、彼女はそんなことは気にしない。謎の殺人事件に潜むスターのスキャンダルの匂いを嗅ぎつけて、これで一発当てて、あたしも名前を売ってのし上がってやるって腹の中で考えている、そんな女。なのに、「私は真実が知りたいだけなのぉ」だって、まったくぬけぬけと! 野望を抱くのは悪いことじゃない。体を武器にしてでも、世の中へ出ようっていうのだから大したものだ。悪いのは、「自分の心はきれいだから、野望なんて持っていません。ただ真実が知りたいだけなんですぅ」と、自分で自分を偽ることだ。それは、とても気持ちが悪い。

とにかく、そんな具合に女ジャーナリストに嫌悪感を抱いてむかついた。あ、それから取材するときは、日本ではあんな格好で行く人はあまりいない。黒系でカチッとまとめてる人が多いかな。最近はお洒落な人も増えているけど、おっぱいはチラ見せしてない(と思う)。映画は1972年の設定だけど、当時のアメリカのジャーナリストのファッションて、ああいう感じだったのかなあ?

ちなみに私が通っているジムに競泳用のパツンパツンの水着を着用し、お尻を丸出しにして男の気を引いている女子がいる。スパにはジャグージとヒノキ風呂サウナがあって、水着を着て男女いっしょに利用している。彼女は以前、ストーカー被害にあったそうで、だいたいそういう人は周りから「スキがあったから狙われたのだろう」などと心ない言葉を投げかけられて傷つけられている。それで、本人は自分はスキのない人間だと証明するために過剰な行動に出てしまうことが多い。ストーカー被害や性犯罪の被害にあった女性が、事件後に周囲が驚くほど露出度の高い服装をして、あたかも男性を誘惑するかのような素振りを見せることがある。気の毒だとは思うが、そういう人が近くにいるとどうしても気持ちがザワついてしまう。
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